No.78【 さりげない日常の暮らしを大事に生きる ~普通の人の哲学~ 】
2021.01.13
◆年末に書棚の整理をしていて
懐かしい本を手にとった。
『「普通の人」の哲学―鶴見俊輔・態度の思想からの冒険著』:著:上原 隆
大学生の頃に読み、感銘を受け、処分しないで持っていた本である。
Amazonの「BOOK」データベースには、次のように紹介してある。
「本書は、鶴見俊輔の全仕事を態度の思想としてつかんだ見とり図と、態度の思想を自分の体験でためしてみる実技からなりたっている。やさしくて、役に立つ、みんなの哲学です」
Oxford Languagesの定義によると「哲学」とは、
人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。
また、経験からつくりあげた人生観。
とある。
小生の「哲学」の定義は、誤解を承知で、ざっくりと言うなら、
「人間が、如何によりよく生き、死ぬかの思想」あるいは「人間だけがする思考の遊戯」
と考えている。
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◆生きることは面倒くさいことの連続
日々普通に暮らしていくだけでも、面倒なこと、煩わしいことがかなり多い。
まず、生きる元になる食に関すること。
食材の買い物、調理、その後片付け。
次が掃除や洗濯。
洗濯は、洗濯機の機能が優れているからそのものは手間じゃない。しかし、シワにならないように干すこと、さらにそれらを畳んで元のところに戻すのが面倒くさいと思ってしまう。
掃除。
仕事部屋、リビングや階段、トイレ。
分別してのゴミ出し、昨日の新聞と広告を分別して、置き場所にかたづけること。
入浴の支度や風呂掃除。布団干しやシーツの交換。
その他、朝晩の愛犬の散歩。請求書の支払いetc・・・。
それら毎日の生活のための些事に加えて、仕事がある。
ルーティンで行うことは、サラサラとこなせても、締め切りに追われる仕事が重なる、
ケアレスミスでのやり直し、忙しい時にかかってくるさしたる事もない電話、
予期しない急ぎの対応、PCなどの不調や故障・・・など
ちょっとしたことが重なるとイライラし、ストレスが溜まる。
(なぜか、トラブル案件は重なって起こる!)
「生きていくこと」、「暮らしていくこと」とは、衣食住にかかわる、面倒なことを毎日
やり続けることである。しかも、できれば、清潔な環境で。
前述の『「普通の人」の哲学』は、そんな日常生活の中での処し方、どんな行動・態度を取るかの中にこそ、普通の人がよりよく生きる哲学(思想・考え方)が表れることを考察したもの。
年末整理の中、パラパラとページを捲りながら、自分の生活の中での態度を振り返ってみた。
◆こんな風に今年を過ごそう!
1)面倒臭いことを如何に楽しむか?
そもそも、生きているからこそ、面倒が発生する。
昨年、死んでもおかしくない体験をした身からすると、「面倒=生きている証」なのだ
から、命あることに感謝することだ。
「やりたくないな~」と後回しにしてモヤモヤ感の中で時間(命)を使うくらいなら、
そんなこと考えている暇にさっさと片付け、スッキリ気分を味わうようにする。
面倒と思えることの中に、工夫・改善をする楽しみ、やれることへの感謝を忘れず
サラサラとやってみよう。
2)日常の言葉を大切に、表情・態度の自己チェックを怠らないように!
「ありがとう、ごめんなさい、おはよう。おやすみ」を家族にもちゃんと言うこと。
気分が乗らない時でも、人がいる時は、できるだけ笑顔を相手に向けること。
言葉を発する時は、その影響を考えて、慎重に言葉を選び、言葉のニュアンスや言い方の
雰囲気、表情にも注意を払うこと。
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◆「日々どんな行動・態度で生きているか?」の中にその人の本性が宿る
不遜な言い方だが、「その人がどの程度の人物か?」を観察する私の視点は、
「日々、どんな態度で生きているか?」「どんな日常の習慣を持っているか?」
である。
どんなに高い学歴を持ち、知識が豊富であろうと、有名な会社の高い地位の人であろうと、
人が羨むような潤沢な財産を持っていようと、
日常の些細なことを疎かにしている人、自分の持っている条件をかざして威張る人を尊敬したり、憧れたりする気持ちにはならない。
◆そのように人のことは見ているのに、果たして自分は如何なものか?
◇「私が変われば、世界が変わる」
- ◇「学んだことのただ一つの証(あかし)は、私が変わること。」
◇「私が変わるとは、私の習慣が変わること。」
と長年、参加者の皆様に申し上げてきた。
『「普通の人」の哲学』に出会って約40年。DMPを生業にしてきて35年。
私の日常の行動・態度の習慣は、どれだけ変わったであろうか?
・より良く生きるための思想哲学を持ち、実践しているか?
・学びが日常の実践に活かされているのか?
・当たり前の基本を習慣化できているか?
・頭でっかちの「賢(かしこ)バカ」になっていないか?
筆者注)賢バカとは、故酒井大阿闍梨さんからの教え。
頭の中の理屈や理論で考えるだけで、体験や実践もしないで、
わかったつもりになること。
日常の中のさりげない自分の実践、行動習慣をチェックしながら、
コロナ禍の中でも、日々、楽しみや小さな幸せに感謝を忘れず、今年を過ごそうと決意している。
「一時が万事」「大事の前の小事」「脚下照顧」