No.136【 癒やされたい人は・・・~与えたものが受け取るもの~ 】
2022.06.08
◆こんな思いに立って人生を
(ひるがの高原にて)
朝4時半頃には、空が白みだす。淹れたてのコーヒーを飲んでから、愛犬と散歩に。
やがて朝日が昇りだし、緑の牧草地をオレンジ色に染めていく。
小鳥のさえずりを耳にしながら、深い呼吸でゆっくりと歩いていく。行き交う人はいない。
大自然に抱かれる至福のひととき。心とカラダがニュートラルになっているのを実感する。
ふと、次の一節が脳裏に浮かんできた。
「自然は、私心も野心もない。無心であり、虚心である。
だから自然は美しく、秩序正しい。この自然の理を静かに観じたい。」
DMP研修で受講生に毎日、唱和して頂いている『こんな思いに立って人生を』の一節。松下幸之助翁の教えを10か条にまとめたものである。
◆数年前に石垣島で
数年前、いろんなことがあって、鬱っぽい日々が続き、気分転換にと、石垣島に行ったことがある。
仕事を持っていったものの、何もする気にならず、ただボーッと沖縄の青い海と空を眺め、風に吹かれていた。
その時、この『こんな思いに立って人生を』の一節がまるで天から自分の中に降りてきたような感覚があった。
「ここしばらくの自分は、私心のかたまりだったなあ~。 無心・虚心とは程遠い心境だった・・・。
過度に主張し、相手に認めさせることばかりを考え、その欲の渦の中にいたんだ・・・」
それから、1~2時間、なぜか涙が出てきて仕方なかった。
空も、海も、風もなにも主張しないのに・・・自分は癒やされている・・・。
いつの間にか鬱っぽい気持ちに風穴があいて、明るい気分が少し蘇ってきた。
「自然はそこにあるだけで、なにも主張しないし、人から奪うこともない・・・。
その自然の恩恵を受けて私は、この地球で生かされている。」そう想った。
◆誰かから癒やされることを欲している人が多すぎない?!
アロマブーム、ヒーリングミュージック、街中に点在するマッサージ店・・・。
ストレス社会の現れだろうか。癒やされるためのモノが増えている。
これらは、個人の世界で完結するものだから、まあそれぞれの好みで行ったらいいと思う。
しかし、会社や家庭の人間関係の中で、この癒やしてもらうことを相手に求める人が多いように感じる。
「もっとほめて」「もっと感謝して」、「もっと承認して」といったように・・・。「癒やされたい病」の人が増えている。
これらの承認欲求は自然な感情なのだが、大人の世界で、そうそうそれを満たしてくれる人が周囲にいることは少なく、得られないことの方が普通で、この欠乏感がさらにストレスを生む。
「求め過ぎる心」が、かえって「心の飢餓状態」を生むという、悪循環を生み出す。
「癒やされたいと思ってばかりの人は永遠に癒やされない。
傷ついた人を癒やしてあげたいと願い、人に与える人こそが、癒やされる。」
『千の風になって』の作曲家 新井満さんが、晩年に残した言葉である。
◆【与えたモノが受け取るモノ】というのが宇宙の真理の一つと、小生は考えている。
・笑顔が欲しければ、自分が笑顔で人に接する
・時間にゆとりのありそうな人ほど、誰かのために時間を使っている
・誰かが喜ぶことのために尽力する人ほど、お金に恵まれている
・「ありがとう」をたくさん使う人ほど、感謝されている
などなど・・・
仏教で「布施」(周囲の人に施しをする行為)も、「与える側の人が得る」との考え方であり、
利他行の一つとして、重要な修行になっている。
先の『こんな思いに立って人生を』の他の一節で、松下幸之助翁はこう教えている。
『10のサービスを受けて、9だけ返す。皆がそうすれば、貧困を招く。
誰もが、10を受けて11を返して、初めて社会の繁栄がもたらされる。』
以上