No.75【 大義なくしては・・・ 】
2020.12.16
◆トップアドバンスクラスの担当中に
時刻は、23時近くだった。
昼間使った頭と心を休め、眠る前にリラックスして、TVでものんびり見ようと思い
スイッチを入れると、NHKアーカイブスで三島由紀夫を放映していた。
◆胸に響く言葉・・・
インタビューに答える三島が映し出されていた。
「人間は自分のためだけに生き、死んでいくだけでは
生の充実感は感じられない。虚しくなる。」
「戦争中、いつ死んでもおかしくない時代の時のほうが
命が輝いていた。見るもの感じるものが、全て美しかった。」
「大義なくして生きられるほど、人は強くはない。」
心に響いてくる彼の言葉が続く。
ベッドで横になり、半ば睡眠モードになっていた私の頭は、
いつの間にか集中モードに切り替わってしまった。
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◆『葉隠』と『葉隠入門』
この三島が“わたしのただ一冊の本”と呼んで心酔したのが、『葉隠』。
彼には、『葉隠入門』という著作がある。
小生は、中学から剣道をやっており、武士道を書いているこの『葉隠入門』に
大学時代に出会い、感銘を受けた。
『金閣寺』はじめ、三島の作品に興味を持つきっかけになった本でもある。
「常住坐臥」(すわるにもねるにも。ふだんからの意)の心構えを説いた
この『葉隠入門』は、人生論であり、道徳書であり、
三島自身の「文学的思想的自伝」と言われ、
『葉隠』の魅力と三島の思想が凝縮された1冊と言われている。
◆現代人の参考書
組織人としての処世訓、トップの決断の仕方、仕事の優先順位の決め方、
上司や部下をうまく操る方法、立身出世の条件、など、
現代の企業人にあてはまるものも多い。
「恋愛論」や「子どもの教育論」などもあり、オススメの1冊である。
◆「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」
この一句で名高い『葉隠』。
死を中核に据えた、武士道における覚悟を説いた修養の書である。
筆者は、佐賀鍋島藩に仕えた山本常朝。
書かれたのは、江戸時代中期(1716年ごろ)。
時は、戦乱の世から太平へと移り変わり、町人文化は贅沢を極め、
人々は娯楽と快楽の追及に明け暮れ、一方でヒリヒリするような
命の充実を感じない一種の「時代病」にかかっていた。
現在の日本は、この時代と共通することが多い。
第二次大戦から75年。
安全・安心が保証され、命の危険を感じることは、日常の中にはほぼない。
平和の中、大量の消費、飽食の時代が続き、
自分ファースト、自国ファーストの人々が増え、
果てしない便利さと娯楽の追及をしている。
なのに一方では、心が疲れ、生きている充実感が持てない人が増えている。
日本では、この十数年、1年間に3万人を超える人が自ら命を絶っている。
コロナでお亡くなりになった方の10倍の数になる。
番組の中で、美輪明宏さんが、三島を回想して語っている。
「今に、日本はとんでもない時代になるよって言ってたんですね。
親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの人を刺し殺してみたりとか、
そういう時代になるよって、三十数年前に言ってたわけじゃないですか。
その通りになりましたよね。」
◆命の充実を感じて生きているか?
三島は『葉隠』を、「死を覚悟すること」で「生の力が得られる」
逆説的な哲学と言う。
先の、
「戦争中、いつ死んでもおかしくない時代の時のほうが
命が輝いていた。見るもの感じるものが、全て美しかった。」
の言葉は端的にそれを表している。
「いつでも死ねる覚悟」があるからこそ、
「今この瞬間、今日一日の命の充実」が味わえる。
小生の座右の銘にしている「一日一生」と本質は同じである。
◆大義を胸に今を生きる
「大義なくして生きられるほど、人は強くはない。」
「自分さえ良ければ・・・」の我欲は、
「まだ足りない」「もっと欲しい」の我欲の連鎖を生む。
しかし、その先には、満足感、充実感でなく「虚しさ」が待っている。
「大義」・・・。誰かの為、何かの為を想って今を生きる。
以前この徒然草でも書いた、アフガニスタンで水路を作り、
多くの人々を飢餓と病気から救った医師、中村 哲氏。
彼が銃撃で殺されてからちょうど1年。
中村さんのなんともいえぬ笑顔が思い浮かんだ。
誰かの、何かのために生きている人の顔は豊かで優しい。
行く年を振り返りながら、
「誰かのために」「何かのために」生きる時間を
増やせる来年にしたいと思っている。