No.63【元気な庭の芝生から学んだこと】~大自然の調和~
2020.09.09
さて、今日は我が家の庭の話。
猛暑が続いたこの夏。
我が家の芝生はその暑さにも関わらず、
例年になくふかふかで、元気である。
春先に全面張替えをした。
土が固くなり、あちこちで芝生が枯れはじめていたからだ。
20cm~25cm、掘り起こし、大きめの石、砂、目土を入れ、
約40cm四方の芝生を一枚ずつ地面に置き、整地し・・・
おおよそ1週間余りかけて行った。
芝生が生え揃ってくる5月下旬になると早くも「雑草」が生える。
よくもまあこの間から・・・と思うような、ほんの少しの間隙をついて
生えてくる。
中でも「スズメノカタビラ」は、別名「芝生もどき」と言われるほど、
芝生そっくり。しかも、根が深く、芝生以上に繁殖力が高い。
これらの雑草を一本一本、抜く作業は、厄介で手間のかかる作業。
昨年までは、芝生以外の雑草を駆除する「除草剤」を春から夏前の時期に
2回ほど、散布していた。
この除草剤、ちょっとお高いだけあって、スグレモノで、見事に芝生以外の
草が生えなくなる。
その便利さから、この数年、使ってきた。
今年は、春から手作業で張り替えたのだし、
「毎日が日曜日」のような日々で時間はたっぷりあるし、
何より、草抜きは無心になれて、きれいになると
なんとも言えないスッキリした爽快感が味わえるし・・・
とのことで、早朝や夕方の涼しい時間に、一本一本抜いていった。
芝生の上にしゃがんで、草を抜きながら発見したことは・・・
ミミズ、蟻、こおろぎの子供、時々ムカデ・・・が、例年よりたくさんいること。
「芝生の上を歩いた時、少し沈むような”ふかふか”感が持続されているのは、
彼らがいるおかげか!」
春先に、エアレーション(芝生に穴を開け、空気を入れる作業)を数回して
しばらくは”ふかふか”が維持できるものの、
夏になると踏み固められ、すっかり地表が固くなっていたのが常であった。
おそらく、強力な除草剤は、雑草を根こそぎ退治すると同時に、
ミミズ、蟻、こおろぎの子供なども一緒に殺していたんじゃないか?
「あたりまえのこと」に今さら気づいた。
今年は、庭という自然(小宇宙)の生体系をあまり壊さなかった、
ということ。
◆企業組織でも
企業組織も、例えば、営業で数字を稼ぐ人だけでは成り立たない。
現場で実作業するメンバーだけでは、成果はあげにくい。
スポットライトを浴びる人の影に、舞台装置、衣装・・・
様々なプロが見えないところで、支えあうから、
観る人を感動させるような、品質の高い大河ドラマのようなTV番組、
感動を呼ぶ映画・舞台が生まれる。
アフターコロナの時代、業務の効率化や合理化、省人化・・・A I やロボット、
I T技術の有効活用は、不可欠な視点である。
しかし、合理化や効率化、省人化のみを目的にしてしまう組織は息苦しく、
活き活きしないであろう。
なぜなら・・・、
◆最新のゲノム(遺伝子)科学の知見では、
「常に変化する環境に適応し易い生物の性質とは、非効率で
無駄が多いこと」
と言われている。
企業組織にもいろんな役割の人が必要だ。
ある本にこんな話があった。
「毎朝、元気に笑顔で正門で挨拶し続ける知的障害者を雇用し続けた。
A君は、障害があるので仕事の生産性は低い。」
でもその社長は言う。
「A君の元気な笑顔の朝の挨拶は、社員の心を清々しくし、
うちの会社のよき雰囲気をつくってくれている。
だから胸をはって給料をもらって欲しい」
もう一つ。
今から15年ほど前にトヨタ自動車の当時の部長さんから聞いた話。
社外からトヨタに多数の見学者がいらっしゃる。
その皆さんに、会社や工場の説明をする際の会場の設営や
各机に資料セットを置いていくのがBさんの仕事。
その当時でも、派遣の方にやって頂いてもいい種類の仕事である。
このBさん、とくかく明るく人柄が良い。
そして、宴会芸の達人。昔の太鼓持ちなみの芸を持っている。
各職場やトヨタ内部に多数あるインフォーマル活動の宴会に
芸人のように呼ばれる超人気もの。
Bさんの芸で、会場が笑いで包まれ、和やかな雰囲気が生まれ、
時に初対面の人同士でも交流がしやすい空気が生まれる。
既知の間柄の人々は、共に笑い合うことで、絆が深まっていく。
その部長曰く、
「その一事をもってしても、十分に正社員の仕事をしているのです。
余人を持って替えがたし、とはこのことですな~。」
◆そもそも「雑草」「無駄」って何を基準に言っているの?
「雑草」は、「無駄」なものと思う人が多いだろう。
しかし、雑草も、昆虫も、小動物も大自然の一員であり、
各々が、「自分の命を使い、懸命に生きている」存在。
この庭の場合、「美しい芝生が欲しい(価値がある)」と思う私が
「雑草=いらないもの」と価値判断をし、使っている言葉である。
先のAさん、Bさんの事例でも、
「人を業務機能や生産性だけで評価してしまうのは如何なもの?」というケース。
数字では表せないけれど、「仲間のために役立っている社員」。
そんな人を見逃さず、大切にすることも効率化に等しく大切では
ないだろうか?
最新のゲノム理論の教えのように、
人に関わる分野では、そこそこの余裕、無駄があったほうが、
「車のハンドルに遊びの余裕があるからこそ、変化にあわせた
柔軟な運転が可能である」ように、
「変化に対応しながら、人が人らくしく、活き活き働ける職場」は、少しのムダや余裕のある環境から生まれる、と言っていいだろう。
◆アフターコロナの時代の人に関わる経営は?
数値化、デジタル化できる業務は、とことん無駄を削り、合理化、
効率化、時短をすすめるのが重要だろう。
一方で、
・コミュニケーション
・評価制度
・人事制度
等、人そのものを対象にする分野は、合理的(デジタル的)発想に
固まらない方がいい。
評価制度一つとっても、
・人が人を正当に評価できるのか?
・どんなに評価項目が多く、精度が高くても、
所詮 フィードバック面接や新たな目標設定を話し合う、
上司と部下の関係に、安心感や信頼感、
部下からの上司への尊敬、などがないとうまく機能しない。
「なんで、あのバカ上司からこんかこと言われなくっちゃいけないんだ」
みたいな不平不満がなくならない。
◆宇宙的、大自然的発想を持って
この宇宙を、地球を、大自然を 神さまが創ったとするなら、
神さまが無駄なものをつくるはずがない。
人間から見て無駄と感じるものがあるだけ。
ひょっとすると、「宇宙=神さま」の目から見たら、
傲慢で、我欲にとらわれ、自然を、地球を、破壊し続ける人間が、
無駄なものになりつつあるのかもしれない。
新型コロナウイルスも、自然の一部。
しかも、きっと人間より、この地球の先輩。
あるのが、自然。
生態系の中で、何らかの意味をもって存在している。
台風、ゲリラ豪雨が心配な季節。
くれぐれも、危険予知をし、早めの対策を打つなど、
十分に気をつけて下さいね。
一方で、それらの災害をもたらすほどの自然の猛威は、
お金やモノの豊かさを追求しすぎて、
自然を破壊し、生態系を壊している
傲慢、身勝手な人類への神さまからの警鐘とも
受けとめ、自分の暮らし方、生き方を見直してみては如何だろうか?