No.32【あたりまえの中に幸せを噛みしめる】
2019.03.13
あの日、あの時、感じた大自然の猛威の凄まじさ、
なんとも言えない無力感が身体の底に残っている。
復興の営みはまだ続き、原発の影響等で、
故郷での暮らしができない方もまだ多くいらっしゃる。
震災当時、言葉にならぬ東北の悲惨な状況や、
暗くなった東京の街並み等の報道を見ながら、
・命があること
・暮らす場所があること
・電気、ガス、水道などに不自由のないこと
・毎日食べられること
・家族があること
・仕事があること
・友や仲間があること
・普通に暮らしていられること
・・・・
あの時は、そんな「あたりまえ」のことへの感謝の心が持てていたように思う。
今は、、、「日々のあたりまえのこと」に感謝を忘れがちな自分に気づく。
◆『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』
―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記-(祥伝社)
若き頃に読んだこの本のことを時々思う。
著者の井村和清さんは、内科医として働いていた。
しかし、右膝の悪性腫瘍が発見され、転移を防ぐため右脚を切断。
残念ながら、腫瘍は両肺に転移しており、奥様と幼い娘さんの飛鳥ちゃん、
そして奥様のお腹にまだ見ぬ子を残して逝去された。
病魔と闘いながら、最後まで生きる勇気と優しさを失わず、わが子と妻、
両親たちに向けて綴った遺稿集がこの本である。
「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい…」
その中に次のような井村さんの詩があった。
……………………………………………………………………………………
◆「あたりまえ」
あたりまえ
こんなすばらしいことを みんなはなぜ喜ばないのでしょうか
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって 足が二本ある
行きたいところへ 自分で歩いてゆける
手をのばせば なんでもとれる
音がきこえて 声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし だれもそれをよろこばない
あたりまえだ と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ
そして また 朝がくる
空気をむねいっぱいすえる
笑える 泣ける 叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを
みんな決してよろこばない
そのありがたさを 知っているのは
それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
……………………………………………………………………………………