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DMP徒然草

No.148【 放下する練習 】

2022.09.21

◆4泊5日の参加者Aさん

人の話を正しく聞けない。同じ種類のミスを度々起こす。議論がかみ合わない。

・・・などで大変、苦労された。

そして、彼が気づいたのは、「基礎的な勉強をしてこなかったこと、読み書きが苦手なことを隠すために、その場しのぎの対応をしたり、自信のなさを隠すために、背伸びしたり・・・」

「勉強してこなかった自分を知られたくない」「よく見せたい」「評価されたい」などの思いが自分を苦しめ、地に足のついた成長を阻害してきた要因だったこと」である。

「Aさん、今まで疲れたでしょう」と言うと、目を赤くしながら、大きくうなずかれた。

 

◆放下(ほうげ)

仏教の教えの一つに「放下(ほうげ)」がある。心、身体、モノへの執着(囚われの心)を捨てること。

また、執着を起こさせるいろいろな条件を放棄することを言う。

人は、この「囚われの心」を手放せないことで、自ら苦しみを引き寄せる。

先のAさんのケースも、「自分を良く見せたい、弱みを見せたくない」の「囚われの心」を手放せなかったことが彼を苦しめた。

 

◆これまでの自分を振り返った時に

Aさんに申し上げたものの、今までの自分を振り返った時、決して偉そうなことは言えたものではない。

 ・自分は「・・・あらねばならない」との自己概念

 ・良く見られたい、大きく見せたいとの欲

 ・負けたくない、非を認めたくない等の意地

 ・立場やメンツ

 ・自分の存在をもっと認めてほしいとの欲

 ・自分の未熟さ、至らなさを受け入れられない心

 ・目の前に、既にあるものに感謝せずに、もっともっと・・・と欲しがる欲

など。

 

悩みや苦しみを生み出してきた源は、自分の我欲を手放せなかったことにある、と今思う。

こうあげて見ると、実は大したことない、どうでもいいことだと思うのだが・・・。

いざ、その時になると、手放さない我欲(執着)が出てきてしまっていたんだな〜と思う。

 

◆自然体でいて魅力的な人

そこにいるだけで、なんとも言えない魅力を感じさせる人がいる。

私の意中にも数人の人がすぐに浮かぶ。

そうした人は、「自然体でいながら、楽しそうで、生き生きしている」。

きっと、飾った自分のいろいろな部分を削ぎ落として、あるいは、手放して、今があるのだろう。

 

「手放した分だけ、ラクに楽しく生きられる」

「わかっちゃいるけど・・・」である。

 

さてさて、今から、どれだけ手放せるだろうか??我の強い自分とつきあいながら、少しずつ手放す練習を続けていこうと思っている。

 

以上

 

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