No.138【 木陰のような環境になりたい 】
2022.06.29
◆「陰のある人になりたい。木は太陽を浴びてつかれるのに、木陰で人は安らぐ」
今年3月末までの4年間、京都清華大学の学長をされていたウスビ・サコ氏の言葉である。
サコ氏は、マリ共和国出身の教育者でアフリカ系として初めて、日本の大学の学長となった方。
この「陰のある人になりたい・・・」の言葉には、「関わる人々に安心と幸せ感を与えられる人でありたい」とのサコ氏の生き方の思想があり、同時に教育に携わる人、指導者と呼ばれる人のありようの本質があるように感じる。
◆教育とは添い寝してあげること
学校の教師を目指していた二十歳の頃、当時憧れ、尊敬していたT先生から、
「正克、教育とはなあ~教え子と添い寝してあげることだよ。生徒が辛い時、苦しい時ほどな。」
教育を生業にして40年弱。最近この言葉をよく思い出す。
冒頭のサコ氏の「陰のある人になりたい。木は太陽を浴びてつかれるのに、木陰で人は安らぐ」。
と本質は同じだろう。
私にとって第2の師匠になる中尾さんは、この「木陰」のような存在であったし、いつも心の近くにいてくれることを感じる存在だった。
悩んでいる時、元気が出ない時、中尾さんに会うと、「ほっとしたり、安心したり」。
弱い自分でも、あるがままを受け入れてもらえる感じがして、元気になれた、一緒にいるだけで楽しかった。
◆「木陰」と「指導の効果」
「早矢仕さんは、若い頃、中尾さんから相当厳しく叱られたでしょう」と親しいお客様から言われたことが何度かある。第1の師匠皆川さんが、厳しい鍛錬方式で私を育てたことをご存知だからだと思う。
しかし、実は、中尾さんからは鍛錬も、厳しい指導をされたこともほとんどない。
・「俺はこう思うけどな~」「こんな考え方もあるんじゃないか?」と語る「つぶやき的指導」
・いい時は、ニコリと笑顔になり、悪い時は「そうじゃないだろう」と表情や雰囲気で示す「無言の反応的指導」
あるいは、
・淡々と自らの行動・態度で感じさせてくれる「後ろ姿の指導」
だった。
私が気づくようなサジェッションを与えてくれる教え方、いわば、「自発的力を信じての自律と自立を促す指導」だったと言っていい。
直接表現したいことの数十分の1程度しか言わず、よく忍耐してくれたなあ〜と思う。
直球を投げるより、気づくまでには、はるかに時間がかかる。
しかし、「そういうことか!」「気づくまで待ってくれていたんだ!」とわかった時は、
大いなる反省と気づきがあったし、少しは未熟な自分を変えようとしてきたと今思う。
こうした指導が成り立ったのは、「木陰にいる安心感と信頼感」がベースにあったからだと今はよくわかる。
安心と信頼ができる環境下では、人が自発的に成長しやすい。
私がご縁を頂いた優れたリーダーは、そうした環境であろうとしている人たちだった。
◆木陰のような存在を目指して
「自分は受講して下さる皆さんの心に寄り添えているだろうか?」
「あの人の近くにいると安らげる、元気が取り戻せると思ってもらえる存在になれているだろうか?」
そう思う。
木陰で一休みして、安らぎながら「もう少し頑張ってみよう」と勇気やエネルギーが出てくるような環境になれる人でありたいと願うこの頃である。
以上