No.117【 今年の自省録 】
2021.12.08
独立して4年半が過ぎた。それ以前は、中尾さんや岡本さんなど人生の先輩とのさりげない会話で自分を内省するヒントをもらうことが多かったが、今はその機会もほぼない。
気づいたら還暦手前の年齢になり、ビジネスでお付き合いする方も後輩になる方がほとんどで、昔のようにチクリとすることを言ってくださる諸先輩もめっきり少なくなり、若手経営者からは、仕事や人生の先輩として見られるポジションになっている自分がいる。
言ってもらえなくなれば、自問自答し、自省するしかない。
恥ずかしながらの内容になるが、今年の内省の機会としてみたい。
◆【人生の大病とは、“傲”(ごう)ただ一字のみ】
私の内省の視点は、このフレーズにつきる。私を長年衝き動かしてきた本質だから。
35年前、DMP入門の1年半頃のある日だったと思う。
毎日、自分がやることなすこと通用せず、皆川さんから1日に何度も叱られ続けていたある日。私の教訓ノート(失敗の事実とその真因、改善行動の記録)に当時の副所長の有門さんが目を通して下さり、この言葉を頂いた。
「早矢仕が叱られている本質は、ほぼこれがほとんど」と教えて頂いた気がした。
・「自分が正しい」「俺はできる」と思っている。
だから、皆川さんの時に理不尽な教えに、「わかりました」と言いながら、心では素直に受け入れず、反発している。
皆川さんの言っていることは古すぎる。自分の考え方の方が正しい・・・と。
・周囲の人、受講生の表面(話がうまいとか討論に強い、言力大きいなど)だけで判断し、
自分より力のなさそうな人を上から目線で見ている。逆に自分より力のある人には、劣等感の塊。未熟な自分を認め受け入れる勇気がなかった。
・感情の起伏が大きく、叱られると「青菜に塩」。たまに褒められると、すぐ調子に乗る。
その後、中尾さん体制になってからは、
・私、頑張ってるでしょ!成果をあげているでしょ!
・こんなに会社のこと考えてやっているでしょ!
・訓練・研修も一生懸命やってるよね。
・だから中尾さん、もっと私を認めてください!
・研修など担当中、想いが強すぎると、相手に踏み込み過ぎて、言いすぎてしまう。。
(相手への想いの押しつけ)
・・・・などなど。
言動の端々に「オレが」「私が」が隠れていて、言動の主語はいつも「私」「オレ」
自分の主張を力づくでも通そうとする。思うようにならないと怒りの感情がマグマのように溜まって、表情にでる。辛抱はするが、一旦それが爆発すると、怒りの感情に支配される言動を激しく行い、まるで小学生のように・・・。
あれから、20数年・・・少しは、進歩しているのだろうか??
さて、今年は、“傲” (傲慢)の一字は、どうだったろうか?
「早矢仕さんすごいと思われたい気持ちがまだまだ時々言動にでているな~」
「人にも周囲の人にも完全を求め過ぎる傾向も・・・」
「威張りたい自分、オレの意見を受け入れろ的な押しつけは少し弱くなったかな?」
「お客様経営者に想いを強く押しつけ過ぎ、踏み込みすぎたのは2件あったなあ~(汗)」
昨年の臨死体験を契機に、少しは、神仏や周りの人に生かされて、支えられて今があることが実感できて、謙虚とは何か?が多少はわかりかけてきたかも?
でも、時々頭をもたげる「オレが・・」の“傲慢さ”
DMPを35年もやってきて、この有り様。三つ子の魂は不治の病か??
きっと死ぬまで治らないだろう。どうも前世からの業が深すぎるみたい・・・(汗)。
せいぜいできるのは、己の“傲慢さ”が出ることをチェックし続け、
言動の主語を「オレが」から、「相手様」にする練習を続けることぐらいか??
「修行は続くよ、どこまでも」♫ってことのようである。
年末年始の坐禅は、いつもより長めにすることにしよう。
以上