コラム『DMP徒然草』 書籍情報のご案内
DMP徒然草

No.108【 ならぬことはならぬ〜会津藩の子供の教育〜 】

2021.10.06

◆会津藩 日新館の創設 (参照:日新館のHPより)

江戸時代も200年が過ぎ、太平の世になってくると、今までの風習が変化し武士の気もゆるみ始め、道徳の退廃も顕著になってきた。

天明2(1782)年から数年間続いた天明の大飢饉をはさんで、会津藩内でも様々な問題が出てくる。

その諸問題を解決すべく、5代藩主 松平容頌の時、家老 田中玄宰は藩政の改革をするよう進言し、その中心に「教育の振興」をあげ、このことが日新館創設のきっかけとなった。

日新館の教育目標は、人材の育成」の会津藩の方針のもとに、上士以上の藩士の子弟は全て入学が義務付けられた。

 

什 (じゅう)の掟

会津藩では、同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていた。この集まりを「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となる。

毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行ったという。

この日新館に入学する前の子供たちの心得を示したのが、什の掟」である。

 

【什の掟】

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいじめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

 

第1項と第6項、最終項以外は、現代でもそのまま通じる大事な教えではないだろうか?

特に最後を締めくくる「ならぬことはならぬ」。

これを言えない、親、地域の大人、学校の先生、会社の上司や先輩などがなんと多いことだろう。

特に、守破離の「守」にあたる、「人として、企業人としてのしつけ(躾)にあたる挨拶や礼儀、返事、4S、時間厳守などの基本」をしっかり教え込めない人たちが、結局は若い人たちの成長を阻害しているケースを多く見てきた。

親や先生が「ならぬことはならぬ」としっかり教えないから「自由とはやりたいことをすること」「自分さえよければいい」と大きな勘違いをした青年やいい大人も多い。

 

反発を恐れ、いい人と思われるために、言えないのだろうか?

もちろん「ならぬことはならぬ」と言えるためには、大人や先輩は、そう言えるだけの日々の後ろ姿で範を示せる生き方をしている必要があるのだが・・・。

 

あなたの家庭、職場では、「守」が大事にされていますか?

「ならぬことはならぬ」と言える風土がありますか?

 

以上

一覧へ戻る