No.99【 あたりまえ?奇跡! ~石垣随想その1~ 】
2021.07.21
◆『あたりまえ?』でも『奇跡!』
1年前に死にかけてから、毎朝思うことがある。
「今日も目が覚めた。生きている!」
それまでは、朝目覚めることに、たいした感動はなかった。目が覚めてあたりまえ。
しかし、1年前、「死はいつくるかわからない。自分はあっけなく、ある日突然死ぬことがあるんだ!」と体感した。
ここ、石垣に来ても、普段の習慣は変わらず、3時頃には目が覚める。
大自然に囲まれているこの地。
早暁、星空が残り、次第に明けていくオレンジ色の空、それに染まる木々の緑。赤や黄色のブーゲンビリアやハイビスカス。
そして石垣ブルーの澄んだ海の色が、朝日と共に輝き出す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日も朝がきた。もうじき陽が昇る。
今朝、目覚めることができた。
私は生きている。
淹れたてのコーヒーが美味しい。
昨日も美味しく食事を頂いた。
夏の日差しのなか、汗をかいて飲む冷たい水が最高にうまい!
それらは、きっと「あたりまえ」のことじゃない。
家族がいる。
親しくつきあってくれる友がいる。
お客様がいてくださる。
ビジネスパートナーがいてくれる。
それらは、きっと「あたりまえ」のことじゃない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆私の命につながる命
私の命があるのは両親がいたから。
その両親の命はそれぞれの親から頂いたもの(私の祖父母)。
そうして、両親を第1世代の先祖とすると、第10世代までご先祖を遡ると(約250年〜300年)横一列にご先祖さまが1024人並ぶことになる。
そのご先祖さまの総合計は、2046人。
そのうち、たった誰か一人の命でも途絶えていたら、いまの私の命はない。
そうして、命とDNAを私は受け継いで “いま、ここ” に生きている。
◆先人たちの命の上に・・・。
石垣の地には、琉球王国時代、薩摩藩の圧政や、中国の属国のような時代の遺跡がそこかしこに残っている。
さらに太平洋戦争時代、今の魚釣島(尖閣列島)から台湾に避難しようとして、米軍の攻撃にあい、亡くなった方の慰霊碑、沖縄戦の時に戦死した方々の慰霊碑など、戦争の痕跡が残っている。
わずか70~80年前、先人たちが、日本の国を守るために命を散らしていかれた。
その歴史の上に、今の繁栄と平和なこの日本がある。
「私の命が“今”あるのは、「あたりまえ」のことじゃない。
「あたりまえ」と思っていることは、実は、神(天)のはからい(計らい)による奇跡なのだ。
だから、生きよう! 今日も感謝の心で、喜びを胸に。
RE:BORNの地 石垣にて