No.86【 失敗を起こす時は?~徒然草「高名の木登り」~ 】
2021.03.17
JOCの森会長の発言による辞任騒動、総務省や厚労省官僚の公務員接待問題などの報道を見ていて思い出した一節がある。
吉田兼好師『徒然草』にある 「高名の木登り」との一節。
ひところまで、中学の国語の教科書でも扱われていたから、ご記憶の方もいらっしゃることだろう。
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森氏のあの発言。その心情を推測すると・・・。
「あと半年で東京五輪。自分が会長としてようやく実現する。ここまで来たのは、
自分が会長として、IOC、JOC 、そして政治家、スポンサー企業などに影響力を
発揮できたから・・・。歴史に残る事業に貢献できた・・・。」
そんな中での非公式のマスコミの囲み取材。リップサービスもあって、ついつい本音が・・・?
元々、この方、総理を辞任することになったのも失言がきっかけだった。
また、このところ、更迭された総務省や厚労省の役人たちの心情を予想すると、
苦労して、権限を任される高いポストについた。ようやくここまで来たか・・・。
まあ、地位も権限もあるポストなのだから、民間からこれぐらいの接待を受けても、たいしたことじゃあないか・・・。
こんな感じではないだろうか?
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「高名の木登り」 〜『徒然草』より~
高名の木登りといひしをのこ、
人を掟てて、高き木に登せて梢を切らせしに、
いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、
降るるときに、軒たけばかりになりて、
「過ちすな。心して降りよ。」と言葉をかけはべりしを、
「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。
いかにかく言ふぞ。」と申しはべりしかば、
「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れはべれば申さず。
過ちは、やすき所になりて、必ずつかまつることに候ふ。」と言ふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。
鞠も、難きところを蹴いだして後、
やすく思へば、必ず落つとはべるやらん。
【現代語訳】
有名な木登り名人と世間の人が言った男が人を指図して、
高い木に登らせて梢を切らせた時にたいへんあぶなそうに見えた間は、
何も言わないで降りててくるときに軒の高さくらいになって、
「間違いをするな。気をつけて降りろ」と言葉をかけましたので、
私は、
「これくらいの高さになってからでは、飛び降りても、きっと降りることができるだろう。どうしてそのように言うのか。」
と申しましたところ、
木登り名人が
「そのことでございます。目が回り、枝が危ない間は、自分が恐れておりますから申しません。間違いは易しい所になって、必ず起こすことでございます」という。
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森さんの発言も、官僚の脇の甘さも、高い地位、それに伴う権力、耳障りの良い周囲の言葉、自分の力への過信・・・など人間らしい思い上がりや、その影響が視野から消えてしまったのだろう。
小生自身、これまでを振り返った時、仕事が好調な時ほど、何度もやらかしている・・・(汗)。
失言、思い上がり発言、気づかないうちに相手のプライドを傷つけたりする言動etc・・・。
高い山に登った時ほど、滑落時の怪我は大きい。
ことわざに曰く、「好事魔多し」、「好事魔を生ず」
「魔」とは、己の「我執」。
自己承認欲求、自己顕示欲、自分が正しいとの思い込み・・・などなど。
このところ、中期にわたるコンサルティング案件を数社から頂いたり、
4月以降の企業単位での研修のご依頼も順調。
おかげで、好調に仕事をさせて頂いている。
「注意しなくちゃ!」