No.85【 禅語に学ぶ〜コロナ禍を過ごす心の対策〜その2 】
2021.03.10
◆「明珠、在掌にあり(みょうじゅ、たなごころにあり)」
明珠(大切な宝物)は外の世界には無くて、あなたの手の中にもうありますよ。
幸せな人とは、環境や条件で幸せになっているのではなく、
日々の暮らしの中の些細なことの中に、
「小さな喜び」や「感謝の心」を持てる人だと思う。
幸せはなるものじゃなく、感じるもの。
今日も目が覚めて命がある。今日食べることに困っていない。
今日やる仕事がある。家族が元気でいる。語らう友がいる。
庭に白い梅が咲いた。きれいな夕焼けが見られた・・・。
- 時間に使われるな。時間を使いこなせ。
趙州和尚は修行僧の「一日二十四時間、どのように心を用いたらよいのか」と云う問いに、
「おまえは二十四時間に使われているようだが、この老僧は二十四時間を使いこなしておるぞ」と答えている。
人は皆同じ二十四時間を与えられているが、時間に追われ時間に使われている人の方が多いのではなかろうか。
コロナ禍の中で変化しつつある、仕事やプライベートの時間の使い方。
その時間を使いこなす主体者はあなたである。時間に支配される「時間の奴隷」に
ならないように気をつけなくては。
- 足るを知る
石庭で有名な禅寺 龍安寺。そこには、水戸黄門さんが寄進したと言われる蹲居(つくばい:水で手を清める手水鉢)がある。
その石の蹲居に掘ってあるのが、
五
矢 口 隹
疋
中央の口偏を使うと、周囲に四つの文字が成立する。
「吾(われ)、唯(ただ)足るを知る」
多くの場合、人の不平・不満、あるいは悩みは、自分と他者を比較して、もっと欲しいとの欲の煩悩から生まれる。
「あの人の方が裕福だなあ〜」「彼女の方が上司に認められている」「自分はいつも損な役回りばかりだ。それに比べて彼は・・・。」など
だから、「欲で不満を引き寄せるより、今あるものに感謝の心を持ちなさい」
一方で、
小生は、この「足るを知る」の教えを、
「自分には、既に必要なものは全て与えられている。今がベストである。」
と受け取っている。
他者との比較や、良かった時代の過去を懐かしむのでなく、「神さまは自分に必要なものは、今、全て与えて下さっている」と思ってみる。
たとえ、それが辛いことであっても、人生の修行のために、必要なことなのだと。
曽野綾子さんに『ないものを数えず、あるものを数えて生きていく』との書籍があるが、曽野さんの主張も同じ考え方である。
コロナ以前は、こうだった、ああだった、と思っていてもこの状況は変わらない。
コロナ禍の”今”だからこそ、「あるもの・できること・気づけること」
を数えながら生きていった方が、幸せな気分に近いのではないだろうか?