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DMP徒然草

No.74【 布施の心 】

2020.12.02

◆千日回峰行

 

NHK BS1で『大峯千日回峰行の道を行く 修験道・塩沼亮潤の世界』を見た。

  http://www.shionuma-ryojun.com/jp/news/2020-11-21.html

 

「大峰千日回峰行」とは、日本仏教の中での最高難易度の修行で、

その厳しさは、比叡山の千日回峰行と双璧と言われる。

   https://wedge.ismedia.jp/articles/-/943

 

今から20余年前、当時、「現代の生き仏」と言われた酒井雄哉大阿闍梨

(以下、阿闍梨さん)とご縁を頂き、当時の社長中尾さんと比叡山の飯室谷を

十数回訪れ、対談をさせて頂いた体験がある。

 

注)酒井阿闍梨さんは、叡山の歴史に4人しか残っていない千日回峰行を2回成し遂げた方。

  しかも、最高年齢で達成。

  瀬戸内寂聴さんや高倉健さん、ジャンボ尾崎さんなどが、師と仰いだ人で

  政財界に多くの信者さんがいらっしゃった。2013年87歳で逝去。

 

当時、小生は、出版担当の事務局のような役割。

中尾と阿闍梨さんの対談に参加もさせて頂き、その全てをビデオ撮影。

それを元に、阿闍梨さんの言葉を文字に起こし、あら原稿の一部を書いて、

中尾さんと出版社との橋渡しをしていた。

 

その対談をもとに、阿闍梨さんの教えとDMPの主張や教育についての考えを2000年に

『二千日回峰行者 酒井雄哉大阿闍梨 超人の教え』著:中尾清光 中央公論事業出版

として出版させて頂いた経緯がある。

 

◆番組の中で

 

さて、お寺ではなく、ごく普通の家に生まれた塩沼さんが、

なぜ仏門に入り、千日回峰行に挑むことになったのか?

 

1979年。

先述の酒井阿闍梨さんの千日回峰行の放映がNHK特集で放映された。

https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010237_00000

 

当時小学生だった塩沼さん。たまたま、この番組を見ていた。

比叡山の千日回峰行は、叡山の山谷の道1日40数キロを7年間にわたって、

1,000日間歩き続ける行。

700日満業すると、堂入りの修行が待つ。

9日間、飲まず食わず、寝ず、横にならず、お堂に籠もり、ひたすら祈り続ける。

死ぬ確率が高いため、自分の「生き葬式」を事前にするほど。

800日では、京都大回り。

飯室から京都まで約100キロを100日間。

京都市内では、道行く人たちにお加持をする

1,000日終わると、「火あぶり地獄」と言われる10万枚護摩焚きで終わりを迎える。

といった過酷なもの。

 

この酒井阿闍梨さんの修行の姿を追ったのが、同番組だった。

 

「かっこいい。自分もいつかやってみたい!」

 

そう思ったのが、

やがて、大学で仏教を専攻し、その後大峰山で仏門に入るきっかけと言う。

 

◆極貧の生活の中で

 

当時、塩沼さんの家庭は、貧乏。

父親は、大酒飲み。酔っ払うと暴力(DV)をふるう人だった。

しかし、お母さんは、いつも明るく、自分のことより、周囲の人のお世話を笑顔でしていた。

 

お金がないから、衣食住の豊かさを近所の家庭のように子供に与えてあげられない。

母親として、自分が子供にしてやれるのは、

「日々を全力で生きる後ろ姿を見せること。その教育しかない。」

と思っていたそうだ。

 

塩沼さんが中学生の時、両親は離婚。

自分に酷いことをした元夫が家を出ていく時、お母さんが

「この人に幸せが訪れますように」

とその後ろ姿に手を合わせる姿を彼は記憶している。

 

◆ただで自転車をあげたのに。

 

塩沼阿闍梨が小学生の頃、夕方、自宅の台所に友達と集まり、こんな話をしていた。

「あいつ、○○から中古の自転車をただでもらったのに、”ありがとう”って言わないのは

 悪いよね。”ありがとう”を言うぐらい人として当然だよね~」

 

夕食の支度をしながらその話を聞いていた母親は子どもたちを叱りつけた。

 

「お布施をしたんだから、何も求めちゃいけない。

 与えたら、一切の見返りを期待しちゃいけない!」

 

仏教での教えでは、

お布施とは僧侶の宗教行為への対価ではない。

布施は自分の物を人様に提供することで、執着心をなくして悟りに近づく

仏教の重要な修行の一つ。

「これだけのことをしてあげたのだ」という具合に

「与える行為」に「とらわれの心」があってはならないし、見返りを期待しない。

むしろ、「与える行為をさせてもらえたことに感謝しなさい」と教える。

なぜなら、お布施によって、菩薩に近づく修行をさせて頂くのだから。

 

彼の母親は、まるで「生きた観音菩薩」のような人だったのだろう。

 

まさに、

「この母親ありて、この子あり」

「親の後ろ姿ありて、子の生き方あり」

である。

 

◆己を反省。。。

 

 相手を思ってする日々の自分の些細な行為。

 

 相手が、「ありがとう」を言ってくれない。

 その想いに応えた行動を起こさない。

 「してもらって、”あたりまえ”と思っているの?」と感じることもある。

 

 そんな時、己の心の中でつぶやきが。。。。

 「自分が○○してあげたのに!」

 それが続くと、怒りの感情が出てくることも。

 

「~のに」と思うのは、相手に要求し、見返りを期待しているから。

だから、「返し」がないと不満になる。時には、腹が立つ。

 

「不満や腹立ちはなぜ?」

 

その本質は、「相手のため」でなく、「与えること」によって、

「自分がいい気分(優越感?)」を味わったり、

「感謝される心地よさ」などの「自分の承認欲求」が満たされないから

である。

 

結局、それは、「自分の得」=「利己の心」で行っているから。

 

先人曰く

「かけた情けは水に流せ

         受けた恩は石に刻め」

 

時に、その逆をやってきた自分がいる。

 

深夜、番組を見ながら、【布施の心】には、ほど遠い己の未熟さを

反省しながら眠りについた。

 

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