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DMP徒然草

No.10【続・選択の習慣~「清らかさ、爽やかさ」を基準にする~】

2018.10.03

先の第9回では、『選択10則』についてお伝えした。

 

仕事も人生も、日々、一瞬一瞬、選択の連続である。

そして、その選択の仕方(原因)の結果が人生に起こる。

人はともすると、結果の良し悪しに目を向けて、一喜一憂し、

その原因となっている「自らの選択のしかた(クセ)」=「原因」に

目を向けることは少ない。

 

経営(仕事)や人生により良き結果を求めるならば、

「自らの選択のしかた(クセ)」=自分の価値判断の基準

を見つめてみることだろう。

 

思わしくない結果、気分がすっきりしない結果がでた時の

私自身を振り返ってみた時、

・自分の目先の損得

・意地やメンツ(ちっぽけなプライド)

・いい格好をしたい、自分を大きく見せたい

・勝ち負けにこだわる、負けたくない(優越感と劣等感)

・自分の存在を認めさせたい(自分の存在をないがしろにするな!)

などなど。。。

 

そして、それらを自分で正当化し、

「相手が間違っている!(善と悪)自分が正しいのだ!(正義)」

と自分に言い聞かせ、時にに声高に主張し、相手をやり込めたりしてきた。

お恥ずかしい限りである。。。

 

◆ホントは、どうでもいい。

 

今、冷静に振り返ると、

「本当は、どうでもいい、こだわらなくてもいい、守ってもしかたがないもの」

に固執して判断をしてきた。。。そう思う。

 

そして、上記のような判断基準で、選択した時、

なんとなくスッキリしない、モヤモヤした気分が残っている。

(自分で選んだ)心の底では、自分の我(エゴ)に気づいているからだろう。。。

 

自分の我欲からくる価値基準を人は、「正しい=正義」と思う。

しかし、正義を基準に判断し、主張しあうと、

家族の不仲、地域内での諍い、会社内の不協和音・・・。

さらには、歴史に学べば、

究極は、国と国、民族と民族・・・との「戦争」に行き着いている。

 

◆岡本健治氏(元熱田神宮宮司)の言葉

 

「人々が物事を判断するときには善悪とか正邪を基準にする。

 だが、どのような悪や邪にも理屈を付けることはできる。

 世の中には善と悪の争いよりもはるかに多くの

 正義と正義の闘いが繰り返されている。

 人生の基準を清らかさ、爽やかさに置きたいものである。」

 

◆一緒に練習しませんか?

 

「自分のために」の基準から、

「相手のために」「皆のため、社会のため」を基準にしてみる。

 

「善悪や正邪」の基準から、

「清らかさ、爽やかさ」を基準にしてみる。

 

そんな人が増えたら、家庭も地域も会社も世の中も、

「もっと、心優しく、穏やかに、思いやりに満ちたもの」

になることでしょう!

 

私も、日々そんな選択の基準で判断(決断)をする練習を続けてみます。

ご一緒に練習しませんか?

 

 「私が変われば、世界が変わる」

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