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DMP徒然草

No.109【 会津藩の全人格教育に学ぶ 】

2021.10.13

◆藩校 日進館

先週述べた「什の掟」によって、地域での教育をされた会津藩士の子供たちは、10歳になると日新館に入学する。授業は朝の8時から始まる。生徒数は1000~1300人ほどになった。

当時の日進館の教育について、司馬遼太郎は「当時の会津の教育水準は日本一のものであったろう」と言っている。

幕末の碩学といわれた佐久間象山や維新の魁と言われる吉田松陰もこの日新館を視察に訪れている。

日新館の目的は、端的に言えば、藩の未来を担っていく武士の子どもたちに全人格教育を行うこと。そして、その中からエリートを選抜し育成することにあった。

幕末、尊王攘夷にゆれる世情の中、藩主松平容保を補佐し、藩政の実務を担当した家老の西郷頼母も日進館出身のエリートの1人である。

 

◆教科は多数教科制。その内容は多義にわたった。

日進館で教えられた教科は以下のようなものであった。

1)漢学(論語、大学などの四書五経に、孝経、小学を加えた計11冊の中国の古典)

言わば、徳育(人格形成・道徳心)であり、他の教科の基礎に位置づけられた

注)各家庭で入学前に、6歳頃から近所の寺子屋などで素読をさせていた。

2)礼法(日常の立ち居振る舞い、武士としての所作など)

  *1)2)は守破離の「守」に相当する人としてのありかたの教育

3)天文学 

4)舎密学(化学)

5)算学

6)蘭学(医学)

  *3)〜6)これらは、現代では理数科の教育に相当するだろう

7)兵学(戦略・戦術)

8)武芸(槍、弓、体術(柔術)、馬術、水練)

  *ちなみに日本で初めての学校プールをもった。

  7)8)は、体育であり、本来戦い領地領民を守ることが武士の本質役割。

  現代で言えば、仕事をするための専門的知識・スキルの習得と言える。

9)栄養学(日本で初めての給食をだした)

   健康な心身が全ての原点

こうして見ると、現在の小中学校の5教科9科目の基本もここからきているように思える。

人格をつくる徳育をベースに、体育、専門的な知識・スキル、とバランスのとれた全人格教育と言えるだろう。

実際、ここで学んだ藩士たちが、幕末新政府軍との戦を指揮し、敗戦・降伏後も会津の新たな礎を築く

リーダーとして活躍した。

今の企業人教育は、「人格をつくる徳育」の人間力を育てることは、手薄になっている会社がほとんどで、知識・スキル偏重になっている。そればかりか、業務のやり方しか教えていない会社も多い。これでは、変革を起こせる人材が育つはずはないのである。

◆エリート教育のススメ

松下幸之助翁が「松下政経塾」も日本の将来を担う政財界のエリート教育を目指した。

今の大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一。「日本資本主義の父」と言われるが、彼も当時のエリート教育を受けた1人である。

小生も長年教育に携わってきて、企業においてもその会社の変革を行い、新たな価値創造をして存続発展させてきたのは、その会社の理念を信じ、体現しようとしてきたエリート人材であると実感する。

ただ、現代ではエリートというと、東大や京大卒、海外の有名大学卒だけで、人間力(徳育・道徳)を持ち合わせていない政治家・官僚・大手企業のトップも散見されるだけに「エリート」のイメージが良くないようである。

しかし、本来、会津藩の教育に見られるように、松下翁がめざしたように、まず、人間としての基礎ができている・・・誠実さ、勤勉さ、惻隠の情などの優しさ、志などを持った人としてのありようがあった上に、知性や教養、専門的知識・スキルを身に着けている人が本来のエリートである。

英国のケンブリッジはじめ名門大学でも未だにノブレス・オブリージュ(公のために責務を果たす)が教育の柱の一つになっているように。

「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」

のことわざがあるように、将来の幹部として頭角を表すものは、若い頃から人としてその雰囲気がある。

貴社でも、

  • 人間力教育と知識・スキル教育のバランスとありよう
  • 我社の未来を創造するエリート教育のありよう

を考えてみては如何だろうか?

 

以上

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