No.101【 教育とは、伴走してあげること 】
2021.08.04
【教えると学ぶ】主体を学ぶ側に置く意識転換
学生の頃、アルバイトしていた塾で恩師 公安先生から問われた。
「正克、教師の本質的にやることはなんだと思う?」
「・・・」
「俺はなあ~、小学生の教育で言えば、子供と添い寝してあげることだって思ってるんだ。元気がない、悩みがありそう・・・そんな時、何かを教えたり、諭したりしないで、横になって一緒に添い寝してあげればいいんじゃないかって。」
公安先生は、岐阜県の教育会の重鎮といわれた方。
指示・命令で学ぶ側を支配・コントロールしようとするのではなく、寄り添い、問いかけ、自主性を信じて寄り添う考え方にこの時初めて触れた。
◆親子の間でも・・・主語を「私」から「あなた」へ
「パパとママは、オマエがいい中学・高校・大学に行って将来いい仕事について欲しいから、今は受験勉強をしっかりやりなさいと言うんだ。
オマエの将来を思ってのことなんだよ。」
「私は君にこの製造部を引っ張っていける管理者・リーダーになって欲しいと思っているんだ。」
いずれも主語は「私」である。
これを「あなた」を主語に言い換えると・・・。
「オマエは将来どんな仕事につきたいのかな?」「どんな仕事をしてどんなイメージで生きていきたい?」
「君は数年後、どんな部署で、どんな役職で働きたいと考えているんだ?」
さて、あなたが言われた場合、どちらがモチベートされる(やる気がでる)だろうか?
先の子供に対する親の発言には軽いウソがある。
「オマエの将来を思ってのこと」の気持ちは全くウソではないだろうが、
もう一つの本音があったりする。
「子供が勉強できないと親として恥ずかしい」「子供が勉強しないと私(親)が不安でイライラする」
つまり、子供のためというより、本質は、自分の不安を払拭したり、親同士の見栄や世間体だったりする。
◆どんな人生にしたいか?どんな企業人になりたいのか?
最近の訓練では、初日の最後や第2日に
「あなたが数年後、(1)プライベートで、(2)仕事で 実現させたいイメージをリアルに描いてみてください」という課題を出す。
あるいは、こんな話をする。
給料をもらって働くとは「プロ」ということですよね。
そして、今からは「アナタだからこそできる人的付加価値を高めないとAIやロボットに仕事を奪われる時代ですから、そんな仕事の能力なら、安くしか売れないよね。」
そんな時代の中で、「あなたはどのレベルのプロになりたいですか?超一流、一流、二流、それとも・・・?」
「そのプロ度と年収は相関があります。ビジネス市場の中でのあなたの売値はあなたのプロ度で決まります。」
指導する側が、自分の価値観で決めた「~ならないとダメでしょ!」「〜しないと幸せになれないよ!」を押しつけてみたところで、本人は本当にはモチベートされるはずないのである。
◆オリンピックを観戦しながら
オリンピック・パラリンピックに出場している選手は、ほぼ良き指導者に巡り合った人たちだろう。
そして、自分で決めた目標を諦めず、様々な困難を乗り越え、自主的な必死の努力を長年にわたり、積み重ねてきた人たちばかりだろう。
日々展開される世界を舞台にしたスポーツの祭典。その人生ドラマに想いを馳せて観戦しながら、あなたの「教え方・学び方」を振り返ってみるのもいいのではないだろうか?