No.88【 桜の季節に~自分以外のモノに期待しないで生きる~ 】
2021.03.31
桜の季節を迎えると必ず思いだす歌がある。
幕末の頃の尼僧、大田垣蓮月尼(オオタガキ レンゲツニ)の歌である。
「宿かさぬ
人のつらさをなさけにて
おぼろ月夜の花の下ぶし」
【意訳】
旅をしている時、ある家に一夜の宿を借りたいとお願いしたけれど、断られた。
人の心は冷たいと思ったけれど、これもその人の思いやり(情け)として受けとめ、そのおかげで、おぼろ月夜に照らされる桜の花の下で野宿することができた。
今、人の情けの希薄さ、無縁さを嘆くより、こちらの心の在り方、
受け取り方ひとつで、幸せを感じることができる、といった歌である。
◆悩みや迷いの多くは、自分以外の人の反応や行動に期待するから。
我々が、腹を立てたり、悩んだりすることの多くは、上記に起因するのではないだろうか?
「自分が○○してあげたのに、なんだあの態度は・・・。」
「私だって、こんなにまじめに頑張っているのに、あの人ばかり評価されて。」
「同じ職場なんだから、これくらいのこと、協力してくれてもいいのに!」
「忙しい中、○○してあげたんだから、“ありがとう”くらい言いなさいよ!」
「旦那や子供のことを思って、こんなにやっているのに、どちらも勝手なことばかりして・・・。少しは協力してくれてもいいのに・・・。」
◆「〜のに」の言葉が心のつぶやきで出てくる時は、危険サイン
「〜のに」の後には、相手に対して、自分が望む反応や行動を起こしてくれないことを非難したり責めたりするフレーズがまず続く。
そして、自分が被害者になり「自分かわいそう病」にかかる。
しかし、自己憐憫(自分を可哀想と思う心)は、何も変えず、どんどん被害者意識が増幅され(自分かわいそう病の重症化)日々の気分を暗いものにしていく。
では、どうしたら、いいのだろうか?
そんな時、私が意識して練習しているのは、
- 「アー」とか、「ウオー」と叫ぶ(マイナス感情を吐き出す)
- ゆっくり息をはく(深呼吸)
- 心のなかで10カウントを数える(これで少し心が落ち着く)
- 「〜のに」を「せっかく〜するのだから」の「せっかく」に置き換える
- 「相手の反応は自分がコントロールできない」と言い聞かせる
- あきらめる、ゆるす努力をしてみる
◆人生は心ひとつの置きどころ
起こっている事実、そのものには、何の意味もない。
「あなたが受けとめ方」=「価値観」を決めた瞬間に、その事実に意味のレッテルが貼り付けられる。
冒頭の蓮月尼の歌にあるように、起こったことを一時的に悲しんだり、相手を恨んだりしても、捉え方の視点を変え、「美点凝視」で、良きことに意識を向けなおしてみる。
この出来事に、
「良いことの種はないか?」
「このおかげでと感謝できることはないか?」
「これをどう受けとめたら、幸せな気分になるか?」
「この体験から、自分の成長につながる学びはないか?」
全てをあるがまま受け入れ、その中に小さな喜び、幸せ、自分の成長へのメッセージがあると、受けとめてみる。
自分以外の人や、自然の営みなど、己の影響力が及ぼせないことについては、
「変えられない」と「あきらめ、ゆるす」。
自分以外の人には、期待も要求もしない、練習を日々行ってみる。
これが、穏やかな心で過ごす時間が増える心の持ち方のコツ。
かく言う小生も、短気で勝ち気な性格ゆえ、イライラすることは日常茶飯。
だからこそ、この練習を続けることを自分に課している。
今日からこの練習を始めてみませんか?
読者の皆さんの日々が、春の日だまりのように、穏やかで心が平安でありますように。